福岡のクロダイの謎〜沿岸で暮らすタイ〜
クロダイが気になる。
福岡の志賀島、新宮海岸、三苫海岸など玄界灘沿いの海に入ると、時々30センチ前後の大きなクロダイが泳いでいるのに出会う。海に潜らずとも、川にも上ってきて、橋から川を見下ろすとゆらゆらと漂っているのを見ることができる。
マダイと違って、買って食べるというより「釣り魚」のイメージが強い。僕は釣りをしないので、クロダイを食べたことはない。
大きな成魚は見たことがあるが、稚魚や幼魚を見たことはない。(姿を知らないので、それと気づけないだけかもしれないけど。)ときおり接点があるわりに、あまり知らない魚だ。どこで生まれ、どこで育っているのだろうか。
東京湾では、近年クロダイが増殖しているという。温暖化、黒潮の蛇行等により海水温が上がっていることが原因ではないかという説もある。
福岡、北部九州近海ではどのような状況なのだろうか。クロダイはどんな生態をしているのか基礎的なことを調べ、福岡の海でどうやって暮らしているのかを知りたいと思う。
クロダイの見た目。見分け方
文字通り黒い鯛。魚体の形はよく食べられている赤い鯛、「マダイ」に似ている。色は体の側面は黒光りしたような色、腹側は白色をしている。ひれも黒っぽい。
釣り魚としては「チヌ」という呼び名のほうが一般的。大阪湾が昔、茅渟の海(ちぬのうみ)と呼ばれていたことに由来しているという。
大きいものは60㎝以上になり、日本最大記録は71.6㎝(2011年6月に三重県で記録)である。釣られたり漁獲されるサイズは30㎝から40㎝が多く、50㎝を超えるクロダイは釣り人には「年無し」と呼ばれる。歳がわからないくらいの大きさ、という意味らしい。ウロコから年齢を推測することができ、50㎝以上の個体は13~15歳ほどだという。
色々な本や釣り関連の記事の記述を見ていると、およそ30~40㎝の個体が多く、50㎝を超えるものは珍しいという感覚のようである。実際の自然界におけるサイズ分布がどのようになっているのかは分からない。
詳しい見分け方は本題ではないけれど、大切なので一応調べてみた。黒い鯛はクロダイ、で間違いないと思っていたが、実はクロダイに似た魚が何種類かいる。
キチヌ
腹びれと臀びれ、尾びれの下部が黄色い。体色がクロダイと比べて白っぽい。またクロダイほど大きくならない。
ヘダイ
顔つきが丸い、らしい。クロダイよりも沖合に生息する。クロダイやキチヌよりも磯臭さがなく美味しいとされる。
3種を正確に同定するためには、うろこの数を数える必要がある。
生態 クロダイはどこで生活し、何を食べているのか。
クロダイの食性
カニやエビ、貝類、ゴカイ類、海藻などなんでも食べる。前歯は犬歯状、奥歯は臼歯状になっており、硬い生き物でも砕いて食べることができる。浅瀬や汽水域にも入って餌をとる。幅広い食性を持っていることが、都市部沿岸でも生きていける理由なのかもしれない。
以下で詳しく紹介しているが、クロダイは特定のエリアに定着してその範囲内を回遊する性質がある。漁港ならコンクリート壁についたイガイやカキ。磯ならカニやゴカイ、貝類。干潟や砂浜ならゴカイ類、などのように食べているエサは環境によって変化しそうだ。
天然のクロダイ成魚を解剖し、胃の内容物を詳しく調べた研究は見つけられなかった。その地域のクロダイが何を食べているのかは、釣って捌いて食べている釣り人に聞くのが一番答えに近そうだ。胃の中身までチェックしている人がいるかどうかはわからないけれど。
クロダイの回遊行動
汽水にも対応できるため、海水の入っている都市河川の河口部から下流域でも見ることができる。
クロダイはどのような行動パターンをしているのか。大型の成魚が漁港の岸際や河口など浅場で泳いでいることもある。30センチを超える魚で、頻繁に見ることができるのは他にボラくらい。浅場にくるクロダイは何をしているのか?
釣り人にとっては常識なのかもしれないが、クロダイも潮汐に応じて移動する。釣り用語で釣れるタイミングを「地合い」というが、クロダイの地合いについて月間つり人オンラインに興味深い記事があった。(東京湾のクロダイ・キビレの今。生態面から研究者が解説 第3回)
岸壁に張り付いた貝類、イガイやカキが波に洗われて剥がれてきやすい満潮時付近を狙って、クロダイは浅瀬に回遊してくるという。潮のうごきがある時間帯は貝類がはがれるだけでなく、それらの隙間に住むエビやカニが流されるなどの動きもあり、クロダイにとって魅力的な餌が得られるタイミングのようだ。
クロダイの行動範囲
クロダイの行動を詳細に追いかけた研究はかなり限られている。魚の回遊の研究は大きく分けて、魚に標識をつけて放流し再捕獲される時間と場所を記録する方法と、魚に計測機器(発信機やデータ記録装置)を取り付けて行動を記録する方法の2種類があるが、両方コストや手間が非常にかかるそうである。
クロダイを専門に扱った貴重なクロダイ本「クロダイの生物学とチヌの釣魚学」では、東京湾で「東京湾クロダイ研究会」が釣り人たちの協力を得て行ったタグ標識による回遊研究が紹介されている。
期間は1995年~2004年の10年間。釣りあげられた30㎝~50㎝のクロダイ合計3,792匹にタグをつけ放流をしている。再捕(釣られたり、市場で発見され連絡があったもの)されたクロダイは64尾。そのうちうちタグが識別できたのが62尾という結果となっている。
62尾のうち、50尾が放流地点に近いエリア、それも多くが同じ漁港内で再捕された。再捕までの平均期間は6か月程度で、1週間以内に再捕されたクロダイも10尾いた。
19尾は越冬を経て再捕されたが、そのすべてが近隣エリアでの再捕となっていた。
本の著者の海野先生は、本研究の結果から東京湾のクロダイについて推測できることとして「クロダイは防波堤を主な生活領域とし、多くの場合、移動回遊は少ない。たとえ、移動回遊しても、防波堤間、もしくは防波堤から沖の岩礁帯までの小さな移動がほとんどである」と結んでいる。
「クロダイの生物学とチヌの釣魚学」には、岡山県水産試験場が行ったデータロガーを使ったクロダイの追尾研究も紹介されている。実験は1987年2月に行われた。この結果、26時間の平均移動距離は1.6㎞と、そう遠距離の移動はしないことがわかっている。(実験が越冬期に行われた影響もあるとのこと。)
これらの研究結果をまとめると、クロダイの成魚は漁港や岩礁など気に入った場所をあまり動かずその場に居つくことが多いようである。様々な環境で釣られたり、観察されるクロダイだが、広い海域を回遊しながら暮らしているのではなく、気に入った磯などに定着し季節や潮に応じて狭い範囲を移動しながら生活しているのだ。
クロダイの生活史 クロダイの産卵と稚魚の成長
生物が生まれ、育ち、繁殖して世代をつなぐ過程のことを生活史と呼ぶ。クロダイは一般に、どんな生活史を送るのだろうか。クロダイがどこで生まれ、どこで育ち、どんな生活を送ってどこで繁殖するのかが知りたい。
冬、深場で越冬していたクロダイは、春先の2~3月に浅場へ集まってくる。この時期のクロダイを狙う釣りを「のっこみ釣り」という。越冬を終え、繁殖に向けて体力をつけるために盛んに餌を食べるとされている。
産卵期は4~6月。産卵の時間帯は夜間で、21時~23時ごろが産卵のピークとなる。クロダイは他の魚類と比べても多くの卵を、長い期間に渡って産み続ける。1か月間もの間、毎日卵を産み続け、1匹のクロダイが生む卵は150万~200万個以上にもなる。
クロダイの卵は「浮遊性卵」と呼ばれ、水に沈まずに水面を漂う。塊状になったり、岩などに付着することもなく、産卵された瞬間から海面を拡散していく。
生まれた卵は海水中を漂い、約30日で孵化。しばらく潮の流れに身を任せた生活を送るが、運よく藻場や磯、干潟などの住みよい浅場にたどり着いた仔魚(しぎょ)はそこに身を寄せ、稚魚(ちぎょ)へと成長していく。
クロダイの稚魚の特徴として、稚魚の時点ですでに汽水に適応できることがある。そのおかげで、河口や干潟など、淡水の流入のある餌が豊富で天敵や競争相手が少ない海域を利用することができる。
クロダイの稚魚については、こちらの記事が詳しい。一度採集して、観察してみたい。
クロダイの漁業
クロダイは全国での漁獲量が2200トン(令和2年)。ごち網、定置網、さし網などの方法で漁獲される。魚価が下がっていることなどが原因で、近年は漁獲量が減少傾向にあるという。
広島湾など瀬戸内海では、稚魚放流も行われてきた地域もある。早くから養殖方法が確立されており、人工授精や稚魚の育成に関する知見は古くから蓄積されている。しかし、稚魚の放流量は、全国的に徐々に減少している。
魚価の低下で漁獲対象としての魅力が下がってきたことのほか、アサリや養殖カキを食害するとして「害魚」扱いとなっている地域も出てきていることも、要因として考えられている。
福岡沿岸のクロダイ
福岡とクロダイ
意外と知られていないけれど、福岡県は瀬戸内海にも面している。実は福岡県の瀬戸内海側の豊前海は、全国有数のクロダイ産地である。クロダイの漁獲量県別ランキングでは、福岡県が6位166トン、大分県が10位69トンとなっている。(2020年時点 海面漁業生産統計調査)
「博多湾のメイタを守る会(通称・ラブメイタ。メイタは小型のクロダイの呼称)」という博多湾のクロダイを愛する釣り人の会もある。毎年、ラブメイタ杯博多湾チヌ釣り大会を開催、稚魚放流やタグ付け調査活動も行う。(博多湾を盛り上げる上田敬氏の活動。大会等で地域の釣りを活性化、稚魚放流も実施【九州リポート福岡発!】)
クロダイは福岡でも、漁獲の対象として以上に釣りの対象魚として人気がある魚だ。
実は、前出の「クロダイの生物学とチヌの釣魚学」では、福岡湾でのクロダイの標識再捕調査についても紹介されている。釣り船「はやと丸」の田渕船長を中心に、2003年~2007年の間に約1,000匹にタグ標識をつける調査が行われた。結果は東京湾での調査と似ており、博多湾のクロダイも防波堤に住み着き、長距離の移動はしないことがわかったそうだ。
はやと丸の田渕船長は、現在もクロダイのタグ標識調査を継続されている。もし博多湾の釣り人の方がタグ付きクロダイを釣りあげた際は、こちらに連絡してほしい。
クロダイの産卵と生育の場所
一方で、これはどんな魚でもそうなのだが、特定の地域内での産卵や仔稚魚の行動を研究した例はかなり限られている。クロダイの自然環境での回遊や繁殖、成長についてはでよく瀬戸内海の岡山県や広島県でよく調べられているので、それを参考に私たちの住む地域の海の環境に当てはめ、推測するしかない。
広島湾で、クロダイの卵と稚魚を採集することによって、クロダイが産卵する海域、稚魚の成長する海域を調べる研究が行われている。調査結果によると、クロダイの卵は沖合の地点を中心に湾内外の広い海域で発見されたが、ほとんどの稚魚が特定の地点(宮島と、似島大黄湾など)でまとまって発見された。
まず、産卵場は河口から距離があり、塩分の高い沖合で行われていた。成魚の生息域である沿岸からは距離があるが、沖合で産卵することで卵や生まれたばかりの仔魚を効率よく拡散でき、広い海域に仔魚を行きわたらせることに繋がっているという。これは分布を広げたり、稚魚の生育場所のパターンを増やしてリスク分散することにも役立つ。
稚魚の見つかった地点は限られていた。共通する特徴として、入り江であることと、河川の流入があり干潟が形成されていることがあげられていた。
移動能力のない稚魚が潮に流されて辿り着ける場所であり、かつ干潟があることで稚魚の餌が育まれる。また干潟の濁りは稚魚が外敵から身を守るのにも役立つ。2019年に公開された論文「広島湾におけるクロダイ稚魚の出現状況と年変動」でも、クロダイ稚魚の着底・生育に適した環境の条件として、「1)潮流が物理的に 遮られ,静穏域が形成されている,2)砂浜帯である, 3)淡水流入がある」の3点があげられている。
海野先生はこの調査の紹介の最後に卵や仔魚が「どこに流されるか」が、その後の稚魚へと成長できるかどうかを決めている気がする、と結ばれている。たくさんの卵を産み、広い海に卵や仔魚を拡散させて、海を漂った結果生育に適した環境に運よくたどり着けた仔魚たちが、稚魚・成魚へと成長していくようである。
福岡の海の場合
福岡の海に当てはめて考えてみる。春先、産卵前のクロダイを狙った「のっこみ釣り」は博多湾内をはじめ能古島、相島や玄界灘沿岸の磯、北九州にかけて広く行われている。実際の産卵ポイントがどこかを推測するのは難しいが、水深10-30mの沖合、各所で産卵が行われているはずである。産卵場所を推定するためには、各海域でネットによって卵の採集調査を行う必要がある。4~6月の深夜、どこにクロダイが集まり、産卵が行われているのか、とても気になる。
次に、漂った卵や仔魚がたどり着き、成長する生育場である。上記の条件(1)潮流が物理的に遮られ,静穏域が形成されている,2)砂浜帯である, 3)淡水流入がある)を考えると、干潟か波の穏やかな入り江の砂浜である必要がある。
博多湾、玄界灘側では今津干潟、和白干潟、津屋崎干潟。瀬戸内海側では曽根干潟、中津干潟などが当てはまる。このように考えると、有明海につぐ大きさの干潟、中津干潟のある豊前海が、有数のクロダイ産地であることはうなずける。
また和白干潟には干潟の入り口に「アランドシティ」という埋立地(1994年着工、2005年から入居開始。)がある。アイランドシティができたことで干潟の海水交換がされにくくなり、富栄養化してアオサが大発生するなどの問題が発生している。福岡湾からの潮の流れが湾の入り口の埋立地によって邪魔されることで、福岡湾で生まれたクロダイの卵や仔魚が和白干潟に入りにくくなっていることも想像できる。
川の流入がないので若干条件が揃わないが、能古島や志賀島などのアマモ場も稚魚の成育上になっているかもしれない。クロダイの産卵や仔稚魚の調査が行われ、どのような海域がクロダイの繁栄にとって重要ななのかがわかればいいなと思う。
クロダイのように成魚はいろいろな餌を食べ、都市沿岸の海でも繁栄できるような魚でも、稚魚期の成長は意外に限られた海域に依存しているのかもしれない。多くの魚の天然資源量は卵から仔魚、稚魚へとどれくらい生き残れるかに左右されるという。クロダイの子どもが安定して生残、成長できる場所が残されていくことを願う。
編集後記
クロダイははじめはオスとして成熟し、3~4年たつとメスへ性転換するそうだ。大きな個体ほど、多くの卵を産める。成長した個体はメスになったほうが、クロダイの群れ全体で産み落とせる卵の数が多くなり有利だということだろう。
クロダイにとっては仔魚、稚魚が成長できるかどうかは、適する場所に流れ着くかどうかの運任せ。より多くの仔稚魚が成長に適した場所に流れ着くよう、たくさんの卵を産む。
春~初夏の海には、実は人知れず無数のクロダイの卵が浮かんでいるのだ。卵から生まれた仔魚、稚魚も、僕たちの身近な砂浜や干潟に、流れ着いているのかもしれない。
【参考資料】
・クロダイの生物学とチヌの釣魚学
・九州発 食べる地魚図鑑
・山渓ハンディ図鑑13 改定版日本の海水魚
・いきものいっぱい大阪湾 フナムシからクジラまで 大阪湾本
https://omnh-shop.ocnk.net/product/1415
・ぼうずこんにゃく クロダイ
https://www.zukan-bouz.com/syu/%E3%82%AF%E3%83%AD%E3%83%80%E3%82%A4
・東京湾のクロダイ・キビレの今。生態面から研究者が解説
https://web.tsuribito.co.jp/enviroment/tokyo-kurodai-kibire-seitai2108-01
・クロダイ 太田川河川事務所
https://www.cgr.mlit.go.jp/ootagawa/Bio/fishes/index264.htm
・入れ食い状態のクロダイ、アサリの食害深刻…魚価低迷で見向きされず増えた可能性
https://www.yomiuri.co.jp/economy/20230315-OYT1T50253/
・クロダイを極める!クロダイの生態
http://www.q.turi.ne.jp/s37tin/page02.html
・【海野徹也】魚に愛、自然に感謝、釣り人に幸。~クロダイの生態と放流~
https://tsurigu-np.jp/news/6419/
・「年なしのチヌ」って本当は何歳?クロダイ(チヌ)の全ての解明を目指す、広島大学の海野徹也教授を取材
https://tsurigu-np.jp/news/3542/
・じざかナビ福岡 クロダイ
https://jizakanavi-fukuoka.jp/library/fish/b27d2da5a30b0d43adf4da38194d647659b195d8.html
・日本人の心の魚,クロダイ
https://www.sbj.or.jp/wp-content/uploads/file/sbj/9110/9110_index.pdf
・博多湾を盛り上げる上田敬氏の活動。大会等で地域の釣りを活性化、稚魚放流も実施【九州リポート福岡発!】
・博多湾のメイタを守る会
https://www.lovemeita.com/index.htm
・広島湾のクロダイの資源生態
https://www.jstage.jst.go.jp/article/suisan/85/2/85_WA2597-4/_article/-char/ja
・豊前海におけるクロダイの成長と移動
https://www.sea-net.pref.fukuoka.jp/info/kenkyu/upLoad/k10-14.pdf
・クロダイ稚魚はアサリを直接殺さない:瀬戸内海広島湾のアサリ漁場干潟におけるクロダイ稚魚の食性
https://www.digital-museum.hiroshima-u.ac.jp/~humuseum/siryou-data/kennkyuuhoukoku13/3_shigeta.pdf
・広島湾におけるクロダイ稚魚の出現状況と年変動
https://ir.lib.hiroshima-u.ac.jp/48821/files/36155